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庭と外出先で出会った花の写真を、思い出などと共に載せております。
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ドクダミ姫を公開するにあたって、読み返して思ったことが、
「桜も薬になるんだよなぁ。」
でした。

染井吉野は観賞用に創造された姫なので、彼女ではありませんが。
(観賞用の綺麗な桜姫達は、
ほとんどが我が国で産出されているらしい(^^))
今回は、勿論お綺麗ですが、ヤマザクラ姫のお話を少し。

ヤマザクラ(だけではなくて、その近しい子達)の樹皮を乾燥したものを
『桜皮(オウヒ)』といい、
咳を止める、膿をださせるなどの働きがあります。

『ブロチンコデイン』または『濃厚ブロチンコデイン』
または『サリパラコデイン』などという名前の咳止めを
処方されたことがおありでしょうか?
黒い、真っ黒というか黒に近い紫のような色の液体(シロップ)です。
青線でも見にくいのに、透明の凹凸メモリのポリ瓶とか、
メモリ付きカップを渡されたひにゃぁ・・・
メモリが見えなくて、ちゃんとはかれんわいっ!ってなります。

お子様より、大人のひどい咳にでたりしてました。
滅多出たことなかった上に、
体調不良で本職から足が抜けかかっている身では、
更に触ることはない。

「そういえば、触らないなぁ。」
などと呑気に思っておったところ、既に販売中止になってました(^0^;)
誰も教えてくれなかったよ(`ε´)むぅ
早速同僚に聞き回ったところ、
「そうなの?全然知らなかった!」
・・・・(^0^;)
滅多出ないからね(^0^;)
唯一、オーナーの先生だけが,
「うん、そうなんだよ。」
と。
残っていた『濃厚ブロチンコデイン』はというと、既に期限切れ(^0^;)
そこで、先生にお願いして味見させていただくことになりました。

シロップだけに、やたら甘い。
そして、かすかな苦みが後からやってきました。
苦みが強いという評判でしたが、そんなに強くは感じませんでした。
そして、変わった味とも聞いていましたが、
そんな突拍子もなく変な味でもなかったですよ。
が、けっこー甘さが口の中に残ります。
水を飲んだり、お茶を飲んだりしましたが、しばらく残ってましたね。

販売中止になった原因は、
原料が確保できなくなったから、らしいです。
そんなにヤマザクラ少なくなっちゃったんだろうか。
国内のヤマザクラも、お隣の中国のヤマザクラも、
成分の量、質などに遜色はないそうなのですが。
中国でも、少なくなっているのかしら。

薬でさえそうなんだから、
それ以外の製品ではどうなっているんでしょうね?
クラシエさんのシャンプー、コンディショナーで、
『いち髪』という商品がありますが、
あれにも入ってますよね、桜。
桜皮なのかははっきりはわかりませんが、
これから書く漢方の『十味敗毒湯(じゅうみはいどくとう)』のメーカーさんの『クラシエ』さんなので、たぶんそうじゃないかなー?
あれもなくなっちゃうんでしょうかね?
主人は、
「薬ほど入ってないだろうから、大丈夫じゃないの?」
と言いますが。

さて、
桜皮は、『十味敗毒湯』という漢方にも入っており、
ニキビとか蕁麻疹などなどに処方されます。

漢方は『ツムラ』さんが有名で、昔からあるのですが、
この頃は『クラシエ』さんとか『コタロー』さんとかの
他のメーカーさんの漢方も増えてきました。

でも、でもですよ。
『十味敗毒湯』に桜皮が入ってるなんて聞いたことなかったです。
私の中で、桜皮といえば『濃厚ブロチンコデイン』だったのが、
『十味敗毒湯』にも入ってるって?
早速、『ツムラ 十味敗毒湯』を調べてみると、

キキョウ、サイコ、センキュウ、ブクリョウ、ボクソク、ドクカツ、ボウフウ、
カンゾウ、ケイガイ、ショウキョウ

・・・ない やっぱりない・・
わーたしの記憶は確かだった。
じゃ、『クラシエ 十味敗毒湯』は?

オウヒ、入ってる!
入ってるけど、『十味敗毒湯』は
名前の通り十種類入ってるから『十味』というのであって、
オウヒがあるということは、何かがないはず。
と、よくよく見てみると、
『ボクソク』がない。

『十味敗毒湯』は、
華岡清州さんという外科のお医者さんが創りました。
そのときは、ちゃんと「オウヒ使うよ-」ってなってますが、
伝えられていくうちに、途中で、
「オウヒの代わりにボクソク使ってもいいんじゃね?」
ってなっちゃったらしい。
ボクソクはクヌギの樹皮です。


ちょっと話はずれますが、
華岡清州(はなおか せいしゅう)さんで思い出すのは
『ベラドンナ』ですねー
生薬・・・薬品化学だったかしら?の講義で
教授が話してくださったのが、ずっと記憶に残ってます。


話を戻して、
オウヒ入りとボクソク入りは、
どちらがいいとか悪いとかいうのではなく、
症状によって使い分けるといいんではないですかねぇ?

ざっと調べたところ、オウヒは、
エストロゲンっつー女性ホルモンを出させるので、ニキビにいいらしい。
ニキビは、男性ホルモンが活発だとできやすくなるので、
女性ホルモン(エストロゲン)が増えてくると、
男性ホルモンを抑えてくれて、症状を緩和してくれるらしい。
というわけで、女性に良く効くらしい。

んじゃ、男性にはどうなの?
男性だって、女性ホルモンが全くないわけではないし、
ということはどこからか分泌してるので、
全く効かないってことはない、とは思いますが。
どうなんでしょう?

私も古の昔、ニキビには苦労しました。
あまりにもひどかったので、皮膚科に行きました。
処方されたのは、『清上防風湯』だったですよ。
お餅とかお煎餅、チョコレートを食べるとてきめんでしたね。
次の日には、わーっと顔中にできて(T-T)
それも赤にきびです。
もう悲しかったですね。
どれも好きでしたし。
勿論、食べなくてもできてましたよ。
オトシゴロの時期に顔にあんなものができるのは、
本当につらいです。
今は、驚くほどなーんもできません。
ここ何週間か、チョコレート食べ過ぎてて、
鼻の穴の入口に何かできたなんて、とても言えない(^0^;)

『治打撲一方』という漢方薬にも桜皮は配合されますが、
医療用は『ツムラ』さんしかないので、
桜皮ではなくボクソク配合です。
打撲とかの薬なので、こっちはボクソクの方がいいかなぁ。


もう一ヶ月以上経ちますか。
コーギー幸湖さんを、仕事に行く前に散歩に連れて行きました。
裏山は、階段がしつらえてあるのですが、
なにせ山の階段ですので、
幅が違っていたり、高さが多少違ったりしてます。
他の事を考えながら足を下ろしました。
そこはその階段を使う人達が必ず足をつく所だったので、
土が少しずつ掘られ、思ったより階段の高さが高くなってました。
足の裏でなく、足の外側側面で地面に降り立つ形になり、
全体重がそこにかかりました。
メキメキ音がしました。
しばらく歩けませんでした。
そのまま仕事に行って、帰ってきて、靴下を脱ぐと、
足首と足首の下全部が倍位になってました。
靴下と靴で抑えてたのか、
靴下を脱いでしばらくすると、再び歩けなくなるくらいの痛みが(^0^;)
今も、多少痛みがあり、
仕事から帰ってくると、同じ所が膨らんでます(^0^;)


最後に、
ヤマザクラの写真はないので、
去年行った昭和記念公園の桜姫達の写真を載せます。







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もう、あれから何年になるだろうか。
晩秋に、中学時代の友人が亡くなってから。

改札で、「気をつけて」と見送ってから、
どれくらいの時が経っただろう。
あれが、今生の別れだったとは。



それからずっと彼女とは連絡をとってはいませんでした。
同じ中学の友人が知らせてくれなければ、
あと何年も知らないままだったかもしれません。


同い年の、それも『友人』が、死ぬなどということは
あまり考えではいませんでした。
離れていても、何年も会わなくても、
この同じ世界で、同じ時をずっと一緒に生きているのだと、
そんな風に思ってました。

でも
そんなことはないのだと、
人は思ってもみないときに死ぬのだと思い知らされたのは、
同じ大学を出た友人が、事件に巻き込まれて亡くなったときでした。
yahoo!のニュースの記事に、友人の名前を見たとき、
その場から動けませんでした。

人は、思いもしないときに亡くなるのだと、
お葬式の帰り、ホームで電車を待っているときに思いました。


中学の時、
私の家は、同級生、同学年生のどの家よりもずっと貧しく、
色々なことにおいて我慢を強いられてきたので、
皆が持っているものは、ほとんど持っていませんでした。
それゆえに、巨大な劣等感と
それを打ち消そうとする更に巨大な自尊心、
巨大な虚栄心とでもいうのですか、から、
私はとても嫌な人間でした。
今でも、当時の自分を思い出したくはありません。
そして、当時の私を知っている同級生とも
会いたくはありませんでした。
その気持ちは今もかわりありません。

ただ、彼女ともう1人の友人とは、
何年か前までは連絡をとっていました。
彼女らは、そんな風だった私にも、
いつもいつも笑いかけてくれていました。
彼女らはたぶん、他の同級生より、勿論私なんかよりも、
ずっとずっと大人だったんだと思います。
そうならざるを得なかった理由は、ずっと後で知りましたが。

中学を卒業してからも、ずっと交流がありました。
友人は自宅でピアノの先生をしていました。
私も、一週間に一度、習いに行ってました。
レッスンの合間に、リクエストをすると、
真剣に、そして楽しげに、
とても大切にしていたグランドピアノを弾いてくれました。

彼女が一人暮らしを始めたとき、そのピアノも一緒に引っ越しました。
音大が近くにあったので、そういう設備の部屋は沢山あったようです。
部屋のほとんどを占領しても、その子を連れてきたかったそうです。
「半分ピアノの下に入って寝てるんだよ。」
そう言って笑った彼女を思い出します。

親元を離れて、一人で生きて行くには、
ピアノの先生では無理だと、彼女は企業に就職しました。
それで、レッスンも突然終わってしまいました。
「ごめんね。でも、休みの時に来てくれれば教えられるよ。」
彼女はそう言ってくれましたが、
住む所も少し離れてしまい、休みもあわなくなってしまったので、
あまり会うこともなくなってしまいました。

そして、あの日、ここに遊びに来て、
駅まで送り、改札で後ろ姿を見送った。
あのときは、もう二度と会えなくなるとは思ってもみませんでした。

彼女が亡くなったと知って、ブログに行ってみましたが、
もう何もありませんでした。
痕跡を求めて、Facebookにたどり着いた時、
年を重ねた彼女の笑顔をみつけました。
それを見たとき、
今更私が何を言っても、何を想っても、遅いのだと気がつきました。
そして、最後に彼女が必要とした人々や物が、
ちゃんと傍にあったのだと、
その笑顔が伝えてくれた気がしました。

私は、せめて、祈ろう。
もう、それしかできないのだから。

-彼女の魂が安らかであらんことを-




     彼女を支え、見送った人達は、今、何を想うのだろう




  愛しいひとへ。
   -独り遺る貴方へ-

  先に逝く私をどうか許してください。

  本当は
  もっともっと貴方と一緒にいたいのです。
  願っても、願っても、叶わなくて、
  頑張っても、頑張っても、体が蝕まれていって、
  もう、これで精一杯。

  貴方を遺して旅立つ私を
  どうか許してください。

  もっと、一緒にいたかったのです。

  静かに降る雪を、貴方の傍で眺めていたかった。
  桜の花びらが舞い散る通りを、貴方と腕を組んで歩きたかった。
  暑い日差しを貴方と浴びて・・・

  ・・・もう、どれもできないのです。

  もう、視界の半分も見えなくなってしまったのです。
  これ以上、貴方と一緒にいられないというのなら、
  せめて貴方の顔が見えるうちに、逝ってしまいたいのです。

  貴方の声が聞こえるうちに
  貴方が私の大切な大切なとても愛しいひとだと
  頭がわかっているうちに、逝ってしまいたいのです。

  貴方を独り遺していくのは、とても心配だけど。


  ・・・もっと、一緒にいたかった。
  貴方を独り遺して逝く私を、どうか、許して、ください・・・

              『愛しいひとへ。』より
                      作 炎華




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艦これの春イベをずっとやってました。
頑張って甲甲甲甲で終わらせたのに、
最後だけくじけて丙にしてしまいました。
ボスマスの前に『レレ』なんて・・・(T-T)
今回、これは楽だぁなんてお気楽だったのはE1だけでした。
E2は道中は割とすんなり行けたのに、ボスで沼。
E3はボスにたどり着けず・・
7回中1回たどり着ければいい方で(T-T)
心が折れかけました。
その割にラスダンは一発で終わりました。
E4は道中もラスダンも沼。
もうお腹いっぱい。
E5も第一ゲージのラスダンまでは甲で行っていたのですが、
主人の第二ゲージの攻略法を見ていて、丙に落とそうと。
全艦に『棟梁(女神)』積んで、大破進軍戦法ですよ。
確かにうちとこにも今までもらった『棟梁』は沢山いる。
でも、そこまでして突破する理由がみつからない。
確かに『甲勲章』と『一航戦』を冠した艦載機は
えらく魅力的でしたが。
でもいいんだ。
マザー『フレッチャー』はこなかったけど、
ずっといなかった『タシュケント』と
前回こなかった『ジョンストン』が来たから。

主人が大破進軍したとき、ジョンストンが轟沈して
勿論、棟梁を積んでいるので、また復活させたわけですが、
轟沈の台詞の中に『雪風』に話しかけてる台詞があって、
史実で何か絡みがあるのかと思って調べてみたら、
やはりそういう絡みがありました。
今度、ジョンストンと雪風のイラストを描こうと思います。

前置きが長くなってしまいました(^◇^;)

ここからは、yahoo!ブログさんに載せていた記事です。
多少手直ししてあります。

『なにはなくとも染井吉野』で載せた桜の写真の
「同じ構図で川をはっきり、桜をぼかしたやつもあるんだよ!」
と、10ン年来・・・いや、もう20年近くなる、よね(;゜ロ゜)
の友人に豪語してしまったので、川はっきりバージョンを載せます。

これ!



改めて書く必要もないと思いますが、
ぽちっとすると大きな写真が見られます。

『全く同じ構図』の写真もあるのですが、
下の川が『大自然の中』の川ではなく、
住宅街の真ん中の川なので、色々残念な物が写ってしまい、
ちょっと桜の花に寄って撮り直したものを載せました。



桜の真ん中に昼間の月を入れて撮りたかったので。
それにしても、この日はとてもいい天気でした。
本当に4月?

この写真を撮ったときは、本当にいい天気だったのですが、
その次の年でしたかねぇ
雨でした(^◇^;)



手の届く所に花が被さって咲いているので、こんな写真も撮れます。



ここは本当に綺麗なんです。
うちの近くにも川があるのですが、ずっと植わってるのはハナミズキ。
なんで桜を植えなかったのかなぁ。
前に住んでた所も、道路沿いずっとハナミズキだったけど、
桜に比べると、なんか、ねぇ・・



上の写真の電車はホームに停まってるわけでも、
赤信号で止められているわけでもありませんよ。
ちゃんと運行速度で走ってます。
すごかろー<( ̄^ ̄)>
三脚も使ってないし、どこかに固定して撮ったわけでもありませんよー
設定もかえず、ふつーに風景を撮るように撮りました。
走ってる車から風景を撮ってるうちに、この技術が身についた。
カメラの性能もよくなっているのですが(^◇^;)

でも、電車、どこぞのおうちのほんとに脇を走っているんですね(;゜ロ゜)
うるさいだろうなぁ・・

線路脇に住んでいた友達や知り合いに訊くと、
「最初はうるさかったけど、慣れた。夜も平気で寝られる。」
そうです。

私もここに越してきたとき、
車の音がうるさくて、窓を開けて寝られなかったっけか。
今は、何がそんなに耳についてたんだろう?と思うほど寝られる。
慣れるのねぇ(^◇^;)


今年は桜の時期に主人のお休みがなかったので、
お花見に行けませんでした。
来年は行けるかしら。







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秩父の桜です。
ここに載せてある写真は全て主人が撮ったものです。

染井吉野の咲く時期は、悲しいことが多いと前回も書きました。
この写真の年を含む何年かは、主人に不信感を持っておりました。
責任ばかりあって、神経をすり減らす位置についたばかりだったので、
主人も相当いらいらすることが多かったのだと思います。
それだけじゃなかったことは、今ではよくわかっておりますが、
それを引っ張り出しても今更どうしようもないので、
あえて自分の中で黙殺しております。


長瀞へ桜を見に行こうと言い出したのはどちらだったかは忘れました、
当時は、夜仕事が終わってから、
ふらっと出掛けることが多かったです。
まだ、コーギー幸湖さんもいなかったので。

ホテルに着いて、お風呂から出てくると、主人は映画を観てました。
今だったら、「何観てんの?」と素直に訊けますが、
そのときは、主人の普段の態度にも非常に不信感を持っていて、
久しぶりに出掛けても、不機嫌な様子の主人に
無邪気に話しかける気も起きず。

消すでもなく、最初からかけ直すでもなく、そのまま観続ける主人。
なんだ?この配慮のなさは?
いつもそうだ いつも いつも!
普段のもやもやが増幅され、かなりいらいらしておりました。

忙しいんだと、主人をあまり頼っちゃいけないんだと、
自分に言い聞かせ、我慢に我慢を重ね、
それでも、主人の私に対する態度の違和感は消えず、
更に、不信感をもっていることへの罪悪感に苛まれ、
なんで、こんなに辛い思いをしなければいけないんだろう、と。

映画は単なるきっかけに過ぎませんでした。
ただ引き金になっただけです。

この時期の我々の喧嘩はすさまじいもので、
どちらかが泣いて過ちを認めるまで攻撃の手は緩めません。
怒鳴るとか、暴力をふるうとかは一切無く、
多少言葉遣いと声を荒げることはありますが、全て論理戦です。

主人は即座に判断して、私の論理の弱点をついてきます。
それができない私は、主人が言ってくるだろう事を全て予測した上で、
隙の無い返答を用意しておきます。
下準備ができているときはいいのですが、
この時のように急に始まると、かなり不利です。
が、常々不満に思っている事から起きた喧嘩だったので、
主人の反撃をかわし、勝利したのは私でした。

・・それでも、
気分のいいものではありません。
顔をぐちゃぐちゃにして謝る主人を前にして、巨大な後悔と罪悪感。
ここまでうちのめす必要があったのか、自問自答。
沸き上がる苦い想い。

朝になっても、咲き誇る染井吉野をみても、楽しめませんでした。

もっと、違う言い方ができたんじゃないのか
もっと、違う伝え方があったんじゃないのか

この時、私がカメラを持っていたら、どんな写真を撮ったでしょうね。



帰りの車で、夜桜を観ながら、こっそり泣いてしまいました。

あのもやもやした何年間のことは忘れることはできません。
黙殺しているとはいえ、忘れてしまったわけではないので、
ふと何かの拍子に思い出すと、今でもすごくつらいです。

泣くことも、怒ることもできなかったあの年の、
自分を消してしまいたい気持ちを抑えて見上げた桜、染井吉野。

潔く散る花が羨ましかった。



それでも、また二人で見たいと願っている自分がいました。



あの何年かがあったからこそ、
今、二人で生きていられることが大切だと思えます。
これからも、ずっと二人で、二人+幸湖さんで、
生きていける幸せを感じる事ができるのだと思います。





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長年、自作の小説を置かせていただいていたパブーさんが、
今年の9月いっぱいでサービスを終了してしまうということで、
第1作目の『お父さん』という、
父が悪性リンパ腫を患ったときの小説を、
『小説家になろう』さんに少しずつ移しております。
せっかくあげ直すのだからと、
再び調べ直してみると、
新たにわかったことや正確ではないところが多々あって、
また全部調べ直しとなりました。
昨日、1ページ分を移し終わって、
他のこともする予定だったのに、
調べて、手直しして、公開するのが精一杯。
この分だと、『お勉強日和』の方も直さなければいけないようです。


前置きはこのくらいにして。



yahoo!ブログさんに載せたとき、
ここがどこかをすっかり忘れてしまっておりました。
桜祭りをしていて、
主人と、綺麗ねー、と歩いたのは覚えているのですが。
後で主人に聞いたところによると、南アルプス市だそうです。
そういえば、そうだわ。



桜は一番好きな花なのですが、
この花の咲く時期は辛いことが多かったです。

一番ひどかったときは、泣くことと怒ることができませんでした。
判断を鈍らせるその二つの感情は、邪魔でしかなかったからです。
冷静さを少しでも失えば、判断を誤ってしまう。
ほんの少しでも間違うことは許されない。
自分自身に、こんな事が起こるとは夢にも思っていませんでした。
そして、自分がこれほどまでに狡猾で冷酷になれるのだということを知ったときでもありました。

でも、そんな自分の中で『普通じゃないこと』は、
長く続けることはできません。
だんだん、こんな事は一気に終わらせたいという欲望に駆られるようになりました。

もう、いやだ
もう、疲れた
いつまで続くんだろう、こんなことが

その度に、何度も何度も革包丁を握りしめました。
そのときは、それが一番切れるものでした。
一気に横にひいてしまえば楽になれる。
振り下ろすだけでも!
そして、横になってしまえば、朝にはもう。

それだけで楽になれる。
なれる、けど。

『私が死んだら、主人も生きてはいないだろう。』

それは予想ではなく、確信でした。
当然のこととして、認識してました。
後に、その認識は正しかったと、本人の口から聞きました。

もう少し、冷静じゃなかったら、よかったのか
もっと、感情的だったら、よかったのか

そんな風に思いながら、桜を、染井吉野を見上げてました。
潔く散る花が、そこにはありました。

・・・羨ましい

それでも、またこの桜を見上げることができるようになっていればいい、と思いました。



今度は、綺麗だと、純粋に思いながら、見上げることができればいい、と思いました。


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